その日の夜、その声を聞かなければ、私は永久に消え去っていたかもしれない。確か
に私は、クリスの声を聞いた。
アル、アリエッタ。私の名を呼ぶその声は、無意識に発せられたものに違いなかった。
例えそんな、無意識の言葉であっても、今の私にはそれが必要だった。
次の朝、改めて私とクリスの家族が、誰一人欠けることなくこの部屋に集まった。開
口一番、トルタはクリスに私のことを訪ねた。
「クリス……アルのことなんだけど……」
「ああ、今日は来てないの?」
「あ……うん……いや……そうじゃなくて」
「ん?」
「事故の……こと……覚えてないの?」
「ああ……昨日父さんにも言われたけど……全然思い出せないんだ。気がついたらベッ
ドの上にいて……耳が痛くて」
私は、再びあの妖精の身体を取り戻したような気がした。そして、実際に取り戻して
もいた。手のひらを眺めると、昨日はなにもなかった在るべき場所に、きちんとその存
在を確認できた。
「それより、今日は何日? そろそろピオーヴァの街へ行かなくちゃいけないような気
もするんだけど」
クリスが、無邪気にも聞こえる声でそう訊ねた。
「……私達が学院に向かうはずだった日から、もう五日経ってるよ。クリスは四日間も
眠ったままだったんだよ」
「そんなに?」
トルタの押し殺された声に、クリスは驚いたような声をあげる。多分、トルタが隠そ
うとしたことは、クリスには伝わっていない。ここにいる他の誰もが気づくような、わ
かりやすいことだったのに。
「……とにかく、今は休んで」
トルタは、昨日クリスのお父さんが言ったのとほぼ同じ意味の言葉をかけ、この部屋
から出ていこうとしていた。クリスもその言葉に素直に従うつもりなのか、また、ベッ
ドが嫌な音を立てた。
クリスは……事故のことだけを忘れている。つまりそれは、良いことなんじゃないだ
ろうか? 罪悪感にさいなまれることもなく、本当の意味で私を忘れることができるか
もしれない。学院に通っている時間がそれを可能にするだろう。傷つくことなく、ただ、
遠くなってしまった人を自然と忘れていくように……。
……それがクリスにとって一番良いことなのだということは、わかっていた。トルタ
と三年間、今まで以上に親密な時間を過ごせば、きっとクリスはトルタのことを好きに
なる。
それは、私がもっとも怖れていたことでもあり、同時にもっともクリスが幸せになれ
る方法でもある。
でも……。
でも、それは……嫌だ!
このとき初めて、私は強くその感情を意識した。自分の内にこんなに激しい感情があ
るとは思ってもみなかった。
でも……でも。
クリスにとって、なにが一番なのかを考えれば、答えは明白だ。
私は、もう意識を取り戻すことはないだろう。私だと自覚する存在がここにいるのだ
から。そして、どんなことをしても、私は自分の身体に戻ることはできなかった。
なら……私にできるのは、どんなことだろう? 私のためではなく、クリスのために
できること。
身を引けば良い。そうすれば、クリスはトルタと幸せになるだろう。
それに反論する声を、私は胸の奥で押し殺した。 |